どうも、海外サラリーマンDaichi(@Daichi_lifeblog)です。周りから、自責の念が強い、と言われます。
こんなことへの意見をまとめます。
この記事を書いている僕は、海外で働くサラリーマンです。自分の人生に責任を持ったら、20代でさまざまなキャリアアップをしました。
この経験から、本記事は「【自責】自分のために生きる、ということ」を紹介します。
自分のために生きるのは責任感あることです
自分のために生きるって、責任を負うことですし、勇気のいる行動です。
自分のために生きて、失敗したら恥ずかしい
自分のために生きてみて、何かしら失敗をしたら、恥ずかしいと感じる人がいるかもです。
自分で道を選び、自分で行動を起こし、自分でケリをつけていくと、多くのことが自分の責任になり、さらにいうと「自分を曝け出すこと」になります。
日本人は、文化的に自分を曝け出すことを恥じます。自分の読んでる本を隠すためにブックカバーをしたり、聞いているオーディオのイヤオンのコネクトが外れて、自分の聞いていた曲が外に漏れたりすると「恥ずかしさ」を感じることがあると思いますが、「自分で生きること」も似たような側面があります。
・自分の人生を生きるために、50歳からでも大学に入り直す
・自分の人生を生きるために、今の土地を離れて別の土地に行く
・自分の人生を生きるために、自分なりのビジネスを立ち上げる
1つ1つの選択は、否が応でも人目に触れますし、人生の選択のようなことなら身近な人の目も気になることだと思います。
自分のために生きてみて正解かどうか不安
また、自分のために生きることが「良いこと」か、「正解なのか」なんてことは、実のところ、分かりません。
自分のために生きる、というのは見方を変えると「他よりも自分を優先すること」です。
自分を優先したはずなのに、その先の時間で幸せな未来が待っているのかなんて、誰にも分かりません。
なお、個人的には「正解なんてないのだから、自分の選んだ道を正解にしていくことが大切」と考えていまして、その辺りの内容を次の記事で紹介しているので、ぜひ読んでみてください。
【関連記事】人生に正解はない。なら、少なくとも自分の人生の主導権を持って生きよう
他人のために生きるのは、自分に言い逃れを残すため
また、他人のために生きるのは、ある意味「自分に言い逃れを残すため」という側面もあります。
失敗しても、他人のせい
自分のために生きるのは、恥ずかしいし、上手くいくかも分からないし、それなら、他人を表に立てて、自分の主張とさせないことで傷を避ける道もありますが、これは単なる自分のための言い逃れ作りです。
せっかくの限りある人生、言い訳をするために、やりたいことに向き合わずに時間を過ごすことは、実にもったいないことだと思います。
つまらなくても、他人のせい
上と同様に、他人の意見のせいにして、なんとなく付いていくのは、とても簡単です。
何かあったら、他人のせいにすればよく、自分を正当化できるので、これほど都合の良いものはありません。
人生がつまらないことを、周りのせいに
何が起きても、しゃーないな、と思える人に出会えているなら幸せです
一方で、他人のために生きることが悪い訳ではありません。生き方は自由ですし、自分が満足しているのであれば、全く問題ありません。
理想としては、「何が起きても、この人の言うことなら、しゃあないなあ。」と思える人に出会うことです。
それだけその人を信じ、自分の人生をとしてその人のために生きても自分が満足できるような相手なら双方きっと嬉しいモノだと思います。
自分のために、と胸を張って人生に責任を持とう
本記事は「【自責】自分のために生きる、ということ」を紹介しました。
読んで下さりありがとうございました。
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では、良きライフを٩(`・ω・´)و
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実現力・習慣術・時間術を参考に「ありたい自分になる」人生をデザインしてもらえたら嬉しいです。
自分の人生を生きる、って言うけど、それはどういうことなんだろう?
逆に、他人のために生きないのは、良くないことなんだろうか?