どうも、Daichiです。
今回は吉田松陰の名言から成功の秘訣を紹介します。
1度きりの人生、何か実現してやりたい
堅実に努力して成功してやりたい
きっと、多くの人が1度は抱く野望です。
成功の秘訣は、歴史に隠されています。
過去の成功者の考えや習慣を知って自分の生活で実践することで、あなたの挑戦の成功確率は飛躍的に向上します。
今回は、明治維新の陰の立役者の吉田松陰の名言から成功の秘訣を紹介します。
吉田松陰の名言
一日一字を記さば、
一年にして
三百六十字を得、
一夜一時を怠らば、
百歳の間
三万六千時を失う。
吉田松陰の概略
思想家、教育者。
松下村塾を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋ら明治維新に関わる多くの門人を輩出しています。
討幕論を唱え、老中間部詮勝暗殺を画策して投獄され、安政の大獄により獄中で刑死します。
吉田松陰の歴史
使命と教育
6歳。松陰は吉田家の家督(その家を継ぐべき子)を受け、当時の兵学の師範になる宿命を負います。
そこで教育にあたったのがかの有名な松下村塾の開設者である叔父です。
松陰は叔父から教育を受け、その教育は非常に厳格で甘えや妥協が許されないものだったと言います。
学びに渇く
21歳。見聞を広めるため、遊学の許可を得て10ヵ月の間、旅にでます。
はじめは九州。そして江戸(東京)。
渇望がためか更なる北上を目指すが藩からの許可が届かず、規律を破ってまでも松陰は学びに一歩踏みだします。
そして世界へ
ペリー来航のときにその技術に衝撃を覚えます。
外国船への密航をたてます。
しかし、規則の壁が立ちはだかり、上手くはいきません。
学ぶがゆえに処罰を受けたり、学ぶ機会を得ることすら苦労する時代。
その当時においても松陰の人生は常に新しきを求める旅でした。
その後、地元にもどった松陰は松下村塾を開催し、短い期間ではありましたが数多くの名士をうみました。
吉田松陰に学ぶ成功の流儀
継続こそ命
一日一字を記さば、一年にして三百六十字を得、一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う。
名言の通り、吉田松陰は日々の積み重ねの重要性を説いています。
行動を計画してもなかなか行動できないのが人の性。
家に帰ったら読書を1時間しようと決意し、家に帰宅。
仕事終わりでクタクタだったために、ご飯食べてお風呂に入り、喉が渇いたからビールを飲み、フラフラして気持ちよく寝てしまった。
こんなことはよくある話。
ただ、紛れもない真実は、決意しても何も変わらないことです。
何かしたいのであれば一日一字を記す。つまり、目標の実現に繋がる行動を積み重ねるしかありえないです。
行動の意思を上手にコントロールするには、やるべきことと、やらないことを断捨離し、行動すべきことに集中すること。
関連記事:時間がない。。。夢を叶える人の時間術
成功するためには、1日の中で目標につながる行動をとる。
1日1字も1年で365字。
1日1Pなら1年で365字。
時間がうむ大きな効果を得るには毎日の継続こそポイントです。
成功の鍵は環境にもあり
維新を成し遂げた人たちの中に松陰さんが主催した「松下村塾」
もともとは叔父である玉木文之進さんが創設したものを松陰さんが引き継ぐ形で師事になりました。
身分に関係なく開かれた塾。松陰さんが師事したのは1年と短い期間でしたが、この間に高杉晋作や久坂玄瑞といった幕末志士、伊藤博文、山縣有朋といった明治維新後の日本を作った多くの偉人を輩出しています。
注目すべきは多くの偉人がこの塾で学んでいたことです。
類は友を呼ぶ
と言いますが人の思考や行動の程度は周りの環境に左右されます。
私自身、過去の経験を振り返ると成功者は成功者と常に学んでいる環境をよく目にしてきました。
きっと、みなさんの周りでも経験はあるのではないでしょうか?
自分1人では継続することが難しいかもしれません。
何かを達成したいと思ったらまずは成功者を訪れてみる、そうした集まりに顔を出すことが賢い方法です。
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成功したければ成功の教えを!
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成長する自分になろう!
吉田松陰の名言から成功の秘訣を2つ紹介しました。
- 日々すこしでも行動する
- 自分の周りを成功者でかためる
今回の紹介をキッカケに日々の行動を見直してはどうでしょうか?
読んでくださりありがとうございました。
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吉田松陰の厳選名言集
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一日一字を記さば、
一年にして三百六十字を得、
一夜一時を怠らば、
百歳の間三万六千時を失う。
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夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし
故に、夢なき者に成功なし。
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人間はみな、
なにほどかの
純金を持って生まれている。
聖人の純金もわれわれの純金も
変わりはない。
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今日の読書こそ、真の学問である。
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道を志した者が
不幸や罪になることを恐れ、
将来につけを残すようなことを
黙ってただ受け入れるなどは
君子の学問を学ぶ者が
することではない。
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17、18の死が惜しければ、
30の死も惜しい。
80、90、100になっても
これで足りたということはない。
半年と云う虫たちの命が
短いとは思わないし、
松や柏のように数百年の命が
長いとも思わない。
天地の悠久に比べれば、
松柏も一時蠅なり。
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教えるの語源は愛しむ。
誰にも得手不手がある。
絶対に人を見捨てるようなことを
してはいけない。
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悔いるよりも今日直ちに決意して、
仕事を始め技術をためすべきである。
何も着手に年齢の早い晩いは
問題にならない。
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吉田松陰の足跡
■0-20歳
1830年 長州藩士の次男として誕生。幼少から松下村塾で指導を受ける。
1850年 西洋兵学を学ぶために九州に遊学。その後、江戸に出て佐久間象山に師事。友人と東北旅行を計画するが、出発日の約束を守るため、長州藩の通行手形の発行を待たず脱藩。
■21-25歳
1852年 江戸に帰着後、罪に問われて士籍剥奪・世禄没収の処分。
1853年 ペリーの浦賀来航を視察。西洋の先進文明に心を打たれて外国留学を決意。
1854年 ペリー再航の際、密航を訴えるが拒絶。松陰は、自首し、長州へ檻送され幽囚される。
1855年 出獄を許され幽閉処分となる。
■26歳-
1857年 松下村塾を引き継ぎ、松下村塾を開塾。高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋などを教育する。
1858年 幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことに立腹し、老中の暗殺を計画する。弟子らが同調せず計画は頓挫。江戸幕府が日本最大の障害になっていると批判し、倒幕を持ちかけるが、捕らえられ幽囚。井伊直弼による安政の大獄が始まると、江戸の伝馬町牢屋敷に送られる。尋問に際し、老中暗殺計画の詳細を自供し、自身を「死罪」にするのが妥当だと主張。
1859年 形死(29歳)。