スティーブ・ジョブズ『もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしている事は、自分が本当にやりたい事だろうか?』




こんにちわ、Daichiです😊

もはや知らない人はいないのでしょうか?

世界を変えるような大きな挑戦をしたい

こんな風に大志を抱くのは好きです。

こういう人に出会うと勇気をもらえます。

かのアップル社元CEOのスティーブ・ジョブズさんに夢を叶える成功の秘訣を紹介します。

名言

もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしている事は、自分が本当にやりたい事だろうか?

スティーブ・ジョブズの概要

アップルを創立してMacやiphoneなど現在のITにおけるグローバルスタンダードとなる機器を開発した起業家です。

映画『トイストーリー』シリーズを製作するPixer Animation Studios社のCEOでもあります。

家のガレージから立上げた小企業がいまでは誰もが知る超ビッグカンパニーApple社へと成長させたサクセスストーリーは現在でも若き起業家たちの鏡あります。

しかし自身が立ち上げたAppleから強制解雇されたことだけでなく、ジョブズの人生は波乱を多く持ちます。

最終的にはApple社に再帰しますがガンのため2011年、56歳でその生涯を閉じました。

成功の鍵

自分の好きに問いかける

好きこそモノの上手なれと良く言います。

自分の好きなことをビジネスにすることでビジネス上のメリットはたくさんあります。

・深掘りできる
周りに比べて際立ちやすくなる
・取り組んでいて楽しい
楽しい気持ちは何よりものモチベーションになる
・継続できる
楽しいことは続けられる。成功するための大切な秘訣

手法は何でも良いのかもしれません。

その行動を通して、趣味を伝えたいのか、人を手助けしたいのか、世の中を驚かせたいのか。

人によって価値観は様々ですが自分の好きを追求できるモノに巡りあうことができた人は強いです。

選択と集中

今回の名言にある通りです。

今日やろうとしていることは、本当にやりたいことだろうか?

仕事、飲み会、家族、旅行

やることに溢れている時間の中で、人生を通して何を本当にやりたいのでしょうか。

 

ジョブズが解雇されたあと、Apple社は売り上げに伸び悩んだ時期がありました。

原因は煩雑でメリットがわかりにくい製品のために輝く魅力を失ってしまっていたことです。

そこで再帰したジョブズが最初におこなったことは選択と集中でした。

必要とする機能を絞り込み、セレクトしたポイントを徹底的に追求する手法です。

こうした取り組みからAppleは再興を果たしたのです。

価値観で魅せる

徹底的に考えることは本質性を問いかけることに似ています。

本当にやりたいことは何か。

Appleの会社にいくことか、

否。

iphoneを開発することか、

否。

 

開発を通して世界を変えること。

 

この信念こそが本質であり、その手法がMACでありiphoneであった。

この本質を理解していれば、世界を変えるためには何が必要かを考え始められる。

ニーズがあるならブツければ良いし、ニーズがなければ作れば良い。

 

強いメッセージは感動を与えてファンを作ります。

 

私も虜の1人でしょう。

 

信念を発信する。

自分の強みを武器に発信することが大切です。

 

最後に

IT革命、企業家精神、人生への深考。

近年、世間を賑わせているフレーズです。

この拡大に大きな影響を与えた1人は紛れもなくジョブズです。

ジョブズが人生で産み出した製品、プレゼン、サクセスストーリー、マインドはIT産業だけでなく、いたる産業にも波及しました。

世界の発展を驚くほど加速させた1人です。

自身が開発したPCの登場によってIT革命を促しました。

この革命の恩恵か、副作用か、モノごとは急速に発展しすぎてしまい「世界を変えるような革新的な発明は今後あらわれないのではないか」と思われていました。

しかしその社会の中でも、iphoneをはじめ、自身が作ったグローバルスタンダードをさらに塗り替える偉業を達成し続けました。

 

ジョブズの時間に対する考え方は、あまりにも美しいです。

そして、儚い香りが少しします。

 

今日を探し、今日を考え、今日を愛する。

 

朝、鏡を見るたびにジョブズが思い出されます。

 

そして自分に問いかけます。

「今日やろうとしている事は、自分が本当にやりたい事だろうか?」

 

たった一度の人生、真剣に生きよう。

 

関連記事:デール・カーネギー『人生とは今日一日のことである。』

賢者の足跡

1955年 誕生。誕生以前から養子に出すことが決められ、スティーブはジョブズ夫妻に引き取られる。

1968年 ヒューレット・パッカード(HP)社のビル・ヒューレットの自宅に直接電話をする。ジョブズが部品をくださいと言うと、ビルは部品をくれるばかりか、夏休みのアルバイトにも誘ってくれた。ジョブズが高校生のとき、HP社の夏季インターンシップで後にアップル創立に深く関わるスティーブ・ウォズニアック(ウォズ)と出会う。

1972年 オレゴン州のリード大学へ進学。しかし「両親が一生をかけて貯めた学費を意味のない教育に使うのに罪悪感を抱いた」と感じて半年で中退。その後もキャンパスを放浪し、コーラの空き瓶拾いや電子装置の修理で稼ぎ、友人の部屋で寝泊まりをしながら、哲学やデザインなど興味のあるクラスだけを聴講。この感性が後のPCへのフォントの導入に繋がる。その後、導師を求めてインドを訪れたいと考えたジョブズは、旅費を捻出するために仕事を探し、1974年にアタリ社を訪問。「雇ってくれるまで帰らない」と宣言し、創業者に気に入られ、下級エンジニアとして採用される。

1975年 世界初の個人向けコンピュータ(アルテア8800)が発売され、人気を博していた。ウォズは、より安く、簡易な回路のコンピュータを作ることができると考え、半年で開発。HP社に商品化を持ち掛けるも断られたため、二人は自分たちで売り出すことを決意。製造したコンピュータをアップルと名付ける。

1976年 Apple Iの販売を開始。

1977年 発売を開始したApple Ⅱが大ヒット。アップル社はシリコンバレーを代表する企業に成長。

1980年 株式公開。

1984年 Macintosh発売開始。しかし、需要予測を大幅に誤り、初めての赤字。当時CEOのジョン・スカリー(元ペプシコーラ社長)は、経営を混乱させているのはジョブズであると考え、Macintosh部門からジョブズを解任することを取締役会に要求。

1985年 取締役会でジョブズは会長職以外、すべての仕事を剥奪。アップルをクビになる。ジョブズは所有していたアップル社の株をすべて売却。アップル退職後には、オペレーティングシステム(OS)の開発(NeXT社)やピクサー・アニメーション・スタジオの設立などを行なう。

1996年 自社内でのOS開発が暗礁に乗り上げていたアップル社がジョブズのNeXT社を買収することで合意。ジョブズはアップルに非常勤顧問として復帰。

2000年 アップル社のCEOに就任。

2001年 NeXTとアップル社の技術を融合させたMac OS Xを発売。iTunesとiPodによって音楽事業に参入。

2003年 膵臓癌と診断。摘出手術を受ける。

2007年 iPhone発表。

2008年 肝臓への癌の転移が判明、CEOを休職。

2011年 8月にCEOを辞任。10月に自宅で56歳の生涯を閉じた。