ただ3年やっても成功しません『石の上にも三年という。 しかし三年を一年で習得する努力を怠ってはならない。』松下 幸之助




こんにちわ、Daichiです。

ブログ運営をしつつ、東京やアメリカで勉強会をしています。

 

今回は松下幸之助さんの名言から成功の秘訣を紹介します。

 

まずは石の上にも三年、こんな地獄がまだまだ続くのか〜(悲)

ま、石の上にも三年というし、とりあえずやっておくか。

 

と感じることはないでしょうか?

成功するためには継続が必要ということはよく言われます。

 

でも、「ただ三年間やっていれば上手くできるようになる」わけではありません。

本当に成功したい人はぜひ読んでください。

名言

石の上にも三年という。 しかし、三年を一年で習得する努力を怠ってはならない。

松下幸之助の概要

パナソニック(旧社名:松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた経営者です。

異名は経営の神様。

自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出します。

一方で、晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注ぎます。

成功の方法

石の上にも3年やってなれる自分は「最低限」できる自分

(いし)の上にも三年 冷たい石の上でも3年も座りつづけていれば暖まってくる。 がまん強く辛抱すれば必ず成功することのたとえ。

*コトバンク

継続的にコツコツやることはとても大事です。

日々の積み重ねが行動の量をうんで成果をつくるのは明らか。

 

でも、ただコツコツやれば良いという訳でもありません。

石の上にも三年という言葉を、言葉のままに受け取れると「三年やり続ければ上手くいく」というような解釈に繋がりますが、これはある意味不十分です。

 

揶揄するわけでも卑下するつもりもないですが

例をあげると、

街の八百屋さんで50年働き続けた人が必ずしも世界トップクラスの八百屋さんになる訳ではありません。

街の床屋で60年続けているお婆ちゃん美容師が世界一になる訳でもありません。

 

私は「石の上にも3年」という言葉に非常に疑問を持っていました。

多くの人が皆小学校に通って3年以上を勉強しますが人それぞれで学力の観点では成長の度合いは全く異なります。

きっとみなさんも振り返ってみると勉強を3年間した人が成功している訳ではないことに気づくと思います。

 

社会人になってからも「石の上にも3年」という言葉の意味を考えつつ、仕事をする人たちを観察していました。

 

結論、「石の上にも3年」は最低限「ある特定の作業」ができるようになるための時間です。

「石の上にも3年」やっていたら華々しく成功するわけでも一流になるわけでもありません。

 

目標に向かって考えて行動することが大切

石の上でやみくもに座っていても成功はやってきません。

では石の上にも3年の言葉を、本当の成功に繋げるためにはどのように解釈すればよいのか?

それは目標の設定と日々の改善にあります。

 

何を目指して何を意識して行動するかで到達点は大きく異なります。

 

ゴールをどこに置くか、ゴールをいつ達成するかを考えることが重要です。

 

そして、

・ゴールを達成するためにいらない仕事はないか?

・今日無駄な時間はなかったか?

・成果をだすために効果的な行動はないか?

 

常に改善をもとめて成果に近くための努力が必要です。

 

”早い”は価値

 

「早くできる」というのはそれだけで価値が生まれます。

 

同じ仕事を

・1日でやる人

・1時間でやる人

では後者にお願いしたくなりますよね。

 

・行動の早さ

・作業の早さ

・作業を早くするように工夫できること

 

これら全ては価値に繋がります。

 

昨日より1分、時間を縮めて仕事を終われせよう。

今日より1分、明日の仕事時間を短縮できるよう工夫しよう。

 

こうした繰り返しを仮に続けて達成できたとすると1ヶ月後には30分の短縮、2ヶ月後には2時間の短縮になります。

もし成果主義の働き方をしている人ならこれだけで時給をグッと改善できます。

 

つねに改善を意識する

何も考えずにただ行動しているのでは成長は小さくなります。

 

3年間続けるという継続の言葉をむやみに頑張った張った単なる努力改善を意識した成果に繋がる努力を区別することが必要です。

 

1時間を怠って無駄にしても、1時間頑張って的外れなことをしても結果は一緒。

(もちろん、失敗から学べることはあります)

 

日々、時間の濃さを意識して時間の改善を試みる姿勢が重要です。

改善を試みることで今では想像出来ない地点・レベルまで、想像よりも早くに到達できるのです。

 

さいごに

「石の上にも3年」

この言葉は日本から古くから言われてきましたが学生時代の自分や周りを振り返ると現実としてありえないのは明らかです。

 

そもそも誰もが3年間以上、勉強しているのに差はでています。

成功したい人は3年間なんてどうでもよく、1日1日改善をかさねて過ごしましょう。

 

以上、学生時代を振り返りつつの成功法則の紹介でした。

読んでくださり、ありがとうございました。

ぜひまたお越し下さい。

 

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松下幸之助の足跡

1894年 和歌山県、小地主松下政楠・とく枝の三男として出生。

1899年頃 父が米相場で失敗して破産したため、一家で下駄屋を始める。しかし商才もなく店を畳んだため、小学校を4年で中退、9歳で宮田火鉢店に丁稚奉公に出される。後、奉公先を五代自転車に移する。

1910年 大阪に導入された路面電車を見て感動し、電気に関わる仕事を志し、大阪電灯(現:関西電力)に入社。当時の電球は自宅に直接電線を引く方式で、電球の取り外しも専門知識が必要な危険な作業であったため、簡単に電球を取り外すことができる電球ソケットを在職中に考案する。

1913年 関西商工学校夜間部予科に入学。

1917年 大阪電灯を依願退職。

1918年 松下電気器具製作所を創業。電球ソケットに続き、カンテラ式で取り外し可能な自転車用電池ランプ(1925年から「ナショナル」商標を使用開始)を考案し、これらのヒットで乾電池などにも手を広げる

1935年 『松下電器産業株式会社』として法人化。

1943年 『松下造船株式会社』を設立し、第二次世界大戦中の下命で軍需品の生産に協力する。次いで、同年10月に『松下航空機株式会社』を設立するが、航空機に求められる絶対的な品質と信頼性に対する認識不足から惨憺たる失敗に終わる。

1945年 GHQによって制限会社に指定されて公職追放処分を受ける。

1946年 11月にはPHP研究所を設立。倫理教育に乗り出すことで世評を高め、内部留保を取り崩して人員整理を極力避けたことを感謝した労働組合もGHQに嘆願したため、間もなく制限会社指定を解除される。

1947年 社長に復帰。

1950年 長者番付で全国1位を記録。

1961年 会長に就任。ヒット商品欠如が岩戸景気後の反動不況と相俟って赤字に転落。

1967年 ダイエーなどの安売り店への出荷停止や締め付けなどに関して、公正取引委員会は松下電工を立ち入り検査し、独占禁止法第十九条に抵触する「不公正な取引方法」として排除勧告を受けたものの、これを拒否したため消費者から批判を浴びる。

1973年 80歳を機に現役を引退。

1979年 私財70億円を投じて財団法人松下政経塾を設立。政界に貢献。

1989年 気管支肺炎のため、松下記念病院(守口市)において死去。享年94。死亡時遺産総額は約2450億円で、日本で最高とされている。