フランシス・ベーコン
哲学者、科学者、政治家。
概略
エリザベス1世の国璽尚書を務めたニコラス・ベーコンの子。「知は力なり」を提唱し、「人間による自然の支配」を学問の目的とした17世紀の科学革命を代表する人物の一人。1605年『学問の発達』、1620年『新オルガヌム(機関)』がよく知られる。真の知識に至るには、正しい認識の妨げになるイドラ(偏見・先入観)を排除しなければならないと説き(イドラ説)、さらに実験と観察に基づく個々の事実から法則・結論を導き出す帰納法を提唱。
所感
現実を深く観察し、真理を追求しようとする彼の思考には頭が上がらない。民意に流されず、常識に流されずにモノを考える力は21世紀の現在においても重要な考え方だ。
そんな彼の想う時間から、時の過ごし方に対する警鐘が聞こえる。
一般的に、若い頃は新たな発見、気づき、覚えたいことが多々ある。環境が変わることが多いからだろうか。やる事が多々あるのに1日は短すぎる。だから、あっという間に終わる。
しかし、1年で考えると多くの経験が思い出されて長く感じる。
時間の密度が濃いのだ。
年をとったらどうだろう。日々の繰り返し、刺激の少ない毎日。だから長く感じる。しかし、1年で見ると短く感じる。
中身が薄いのだ。
そんな人生は、どこかもったいない。せっかく受けた生なのだから、とことん楽しみたい。
時間の密度を考える。ぎゅーっと濃くする。
エスプレッソのように。
賢者の足跡
1561年 誕生。
1573年 ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学。スコラ哲学的方法に強い不満を抱いた。その後、ロンドンのグレイ法曹院で法律を学ぶ。
1584年 国会議員となる。当時、エリザベス女王の寵臣だったエセックス伯の腹心となる。
1601年 エセックス伯が反乱を起こすと法律家として告発し、処刑後は事件の全貌を明らかにする公開書の作成にあたった。しかし、エリザベス朝期およびジェームズ1世期の初期には栄達に恵まれなかった。
1605年 『学問の進歩』を出版。
1607年 法務次長になったことを皮切りに順調に栄達する。
1617年 国璽尚書になる。
1618年 大法官となる。
1620年 一時期だがトマス・ホッブズが彼の秘書を務める。
1621年 訴訟関係者からわいろを受け取ったという告発を受ける。彼はこの告発を認めたが、判決には影響を与えていないと弁護した。当時、裁判官が贈物を受け取るのは普通のことであり、この告発には党派争いが絡んでいた。結果として失脚し、4日間ではあるが、ロンドン塔に閉じ込められもした。隠退生活の中、亡くなった。