三つのタグで自分の価値を上げよ!『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』堀江貴文| 読書書評




どうも、Daichiです。

アメリカで仕事しながらブログ・勉強会を運営しています。

 

先日すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)の読書紹介をしました。

_ 学校はただ、ゆがみきった「常識」を植え付けるために存在する機関なのである。 _ 本文より _ _ ホリエモンを続けて読んでいます。 _ ご意見は正論。 「これからの「正義」の話をしよう」にある通り、基本的には価値観は移り行きます。 _ 長い歴史の広い世界の中で、ある時代のある国が求める価値観(表現は過激ですが≒ゆがみきった常識)を学ぶことが学校の1つの目的。 _ アメリカに来てから感じる「文化の違いを認める心」と、これから来る可能性のある価値観について、ここまで痛快に表現する『現代社会への毒』はあるだろうか? _ こういう考えに反対する人もいますが、わたしは今、価値観の変革期だと感じます。 _ 変革のときには先端の声に耳を傾け、来る可能性のあるいくつかの未来のメインストリームの音と対話することは今を生きる人の特権。 _ 江戸時代、黒船が来たときに、 「あれ?」と感じるセンス。 「やばい!」と思える視野・情報力。 「変えよう。」と立ち上がれる行動力。 _ 特に本書は、今までの自分たちを誇り驕り傲慢にならず客観的に自分たちに向き合う視点を与えてくれます。 _ 老若男女問わず新しい価値観に興味のある人にオススメの本。 _ 『すべての教育は「洗脳」である』 堀江 貴文 読了 #夢 #日常 #読書 #読書録 #読書部 #本 #読書記録 #読書会 #読書垢 #読書日記 #読書好き #多読 #読書倶楽部 #感謝 #幸せ #すべての教育は「洗脳」である #堀江貴文 #夢の方舟

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内容が過激なためか、コメント欄には双方のご意見を頂きました。

反日左翼文科省だからね〜・・・日本にいらない!

今の教育や常識は戦争中に国民を不平不満なく操る為のもの
という風に考えていました。

ユダヤ系の方の教育は真逆とか。

様々な思想があって然るべきなのでしょう。日本の今後を憂いている。

ホリエモンさんの様な方が増えていくべきと思う。

 

コメントを言ってくださる方が多いということは、本書は人々の意識に働きかける良書なのだと思います。

 

題名のインパクトに目をとられてしまいますが、実は本書は「ツールが揃い、自由を実現できる社会。やりたいと思いながら行動を起こせない人が一歩前に踏み出す心構えと方法」を紹介しています。

 

本記事では、本書を参考に一歩を踏み出す考え方と方法について紹介します。こんな方におすすめです。

 

こんな人におすすめ!・やりたいけどできない。。。なぜ。。。
・どうしても一歩が踏み出せない
・自分で何かしたい時はどうすれば良いの?

 

ホリエモンの教育論①:「何かしたい」けど「今はできない」人たち

「やりたい」と言いながら、さまざまな言い訳を並び立て「今はできない」と逃げ回っている人たち。彼らは、二つのパターンに分けられる。

1.「ほんとうは何もやりたくない人」

口先では理想を語り、大きな夢を語るものの、本気でそれを実現したいとは思っていない。

2.「「やりたい」と思いながら、それでもなお、なかなか行動に移せない人たち」

現状にさまざまな不満を抱えながら、ひたすら我慢し、現状を受け入れている。いざという時のため、ここ1番の大勝負の時のためにただ力を蓄え、せっせと刀を研いでいる

・自分はなんのために生まれてきたのか?

・何か社会にできることはないか?

 

と考えるのはとても魅力的です。

 

わたしは勉強会を実施していますが勉強会参加者は大きく分けると本書のように2つのタイプに分かれます。

2のタイプの人の行動が少しでも成功に向かう方法を見つける・学ぶ・実践することが当会の目的の1つでもありますが、なかなか自分だけでは動き出すことは難しいもの。

何をすれば良いのかもわからず、不安になるのは当然です。

 

、、、いや、当然なのでしょうか???

 

ホリエモンの教育論②:なぜ行動できないのか?その原因は学校にある

その原因は「学校」なのである。

旧態依然とした学校教育の中で、日本人は洗脳されている。やりたいことを我慢し、自分にブレーキをかけ、自分の可能性に蓋をすることを推奨する恐ろしい洗脳が、白昼堂々なされているのが今の学校なのだ。

「どうして学校に行かなきゃいけないの?」

この質問に大人たちは、「学問を修めるため」「世の中で必要な知識を学ぶため」などと答える。

しかしあなたは、学校で学んだ知識のうちどのくらいが「役に立った」と感じただろうか?

7割以上がの知識が「役に立たなかった」のでないだろうか。

それも当然だ。学校が教えることの9割は「知識」ではない。学校はただ、ゆがみきった「常識」を植え付けるために存在する機関なのである。

ここで考えたいことは「常識」です。

常識は、ある一定の集団の中だけで存在する通念です。

グループが違ったり、年代が違ったり、国が違うと常識は通用しません。

日本では「日本」という枠組みで共通した通念を設けて常識という教育を行っています。

 

本書は「常識教育」のシステムを、

学校で子どもたちは道徳規範を叩き込まれ、学力という形で「従順さ」に点数がつけられていく。

と紹介しています。

 

この「従順さ」はこわい。

なぜなら「従順でない=勉強ができない=できない・情けない・使えない」という構図が見え隠れするからです。

そのため「今やっていることを投げ出す=従順でない=良くない」と取られがち。それを取り囲むかのように「諦めること・途中でやめることは良くない」と”常識”として考えてしまいます。

これが行動できない理由の1つとも考えられます。

 

ホリエモンの教育論③:「居場所」は自由に作れる

僕が国際問題について自由に発言し、それによって「非国民」「売国奴」などとなじられても平気なのは、今この社会において、「国家」や「国民」に昔ほどの価値がないからだ。これが戦時中なら、僕はとっくに特別高等警察に突き出されている。

人々は、自分がその共同体の1員だと信じることで、自分の居場所を実感し、アイデンティティを育むことができた。

しかし、インターネットによって国家の壁が取り払われた現在、人々の居場所はもっと違うところにある。

人種の壁、国境の壁、年齢の壁。あらゆる壁を越えて、人はそれぞれの居場所を自在に作ることができる。

納得。

ひと昔前までは、今で言う「〜市」の範囲内が「世界」だったかもしれませんが、今はそんなことはまるでありません。

わたしはアメリカにいてもタイムリーに日本の友人と連絡が取れます。

アメリカ・日本に限らず、中国、ヨーロッパ、アフリカ、今この習慣に世界に繋がり、世界に居場所をつくることができます。

 

ホリエモンの教育論④:「民」の一人として幸せを探す

問いかけの本題に入ります。

現在、「いい大学からいい会社に入る」だけでは幸せになれないと、誰もが実感している。これは、単に景気が悪くなったからではない。

幸せの形に「正解」がなくなった。つまり、多様化したのである。

あたらしい生き方、働き方とは何なのか。それを、これから一緒に考えていこう。

画一的な幸せがなくなりつつある現在、自分自身の幸せのためにあたらしい生き方が訪れる。

事実、わたしは20歳後半ですが、小学校時代の大親友と呼べる友人”全員”がすでに転職しています。

 

ひと昔前なら、「なんたることだ」となっていたかもしれませんが今それは「当たり前で常識」になっています。

変化の渦中にいるわたし達の層は、すでに変わり始めています。

 

では、自分の幸せのためのあたらしい生き方はどのように作れるのか?

 

ホリエモンの教育論⑤:三つの「タグ」で自分の価値を上げよ!

「やりたいことをやりたいけど動けない」場合にはどうすれば良いのか?

「自分の思い描く理想像に近づきたい」場合はどうすれば良いのか?

簡単だ。より「レア」な人材になればいいのである。

代わりがいくらでもいるポジションではなく、「多少のお金を積んでも、この人でなければ困る」と思わせる地位を得れば、あなたの時価総額はたちどころに上がっていく。

(元公立中学校校長で多数の書籍をだす)藤原氏は「100万分の1のレア人材になろう」と言うお話をよくされる。

100万分の1なんてオリンピックの金メダリスト級の確率だ。普通に暮らしていても到達できっこない。

だが、「100分の1」だったらどうだろう?なんとか頑張れば100人の中で1番になるのはできる気がする。あとは、まったく違う分野でそれぞれ「100分の1」を目指せばいい。

そうすれば、合計3分野を掛け合わせて「100分の1×100分の1×100分の1」で「100万分の1」の人材になれるというわけだ。

第一に自分の価値を高めれば良いのです。

そのためのヒントが「3つのタグ」。

100人に1人の希少分野を3つ掛け合わせてより希少価値の高い人になれ、と言うことです。

 

自分が100人に1人の希少性をもっていることは何か?

自分で何かを始めてみたい人は、「自分のやりたいこと」の中からぜひ3つのことを書き出して、掛け算できるよう工夫しましょう。

 

もう少し細かい3つのタグの見つけ方には関しては、ぜひ本書をご参考に。

 

すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)

さいごに:金、時間、努力より重要なもの

単なる「英語が堪能な人」「ITの資格をもっている人」を目指したところで、似たような人間は山ほどいる。

「頑張る自分が好き」ならそれでもいい。しかし、本当に希少価値の高い人材を目指すのであれば、その戦法は通用しない。

あなたが愚直に頑張っている間に賢い人は、語学や資格を凌駕する希少価値を手早く掴み取り、先に行ってしまう。

使うべきは、時間でも労力でもない。お金ですらない。「頭」なのだ。

これはどこでも通用する考えです。

頭を使いことは大変ですが、受け手になるだけでなく、頭を使って価値を作る作業が大切。

 

読んでくださりありがとうございました。

ぜひまたお越しください。

 

▼今回紹介の本