まともに生きるとは?”まとも”について”まとも”に考えると疲弊する話




どうも、海外サラリーマンDaichi(@Daichi_lifeblog)です。

まともに生きているのか自分では疑問です。

 

Daichi

まともに生きなさい、って言われたけど、まともに生きるってなんだ。。。

まともに生きるっていう意味と、まともに生きるための方法とかを知りたい。。。

こんな疑問に答えます。

 

この記事を書いている僕は、海外で働くサラリーマンです。

日本の経済力や国際力に疑問があったので社会人になってから英語を勉強して、海外で働くところまで行き着いているので、一般的に言って少しまともに生きているのかな?と思いつつ、将来のために会社にだけは頼ってはいけない、と感じ副業をしているので、一般的に言ってまともに生きていないのかな?と思います。

当然、副業を始める前には「誠実さ」について考えました。世の中一般的に言って、副業は良い目で見られませんからね。。。そんな葛藤の中、考えた経験を通して本記事は『まともに生きるとは?”まとも”について”まとも”に考えると疲弊する話』を紹介します。本記事を読むことで、まともに生きることに関して1つの視点を得てもらえたら嬉しいです。

 

まともに生きるなんて幻です

まともに生きるなんて幻です

まともに生きる、なんていう概念こそ幻なんだと思います。

 

まとも、の辞書的な意味1『ちゃんとしている』

 

「まとも」の意味を辞書的に調べると次のように紹介されています。

ちゃんとしているさま。まじめ。

Google辞書

そもそも、まとも、という意味が非常に曖昧ですね。

「まともに生きなさい」と言われたところで「ちゃんとしなさい」ということで、「ちゃんとする」という言葉自体がとても曖昧な言葉なので、「まともに生きなさい」をまともに受け止めたら、答えのない問題で無駄に疲弊します。

 

まとも、の辞書的な意味2『策略や駆け引きをしないこと』

 

正しく向かい合うこと。策略や駆け引きをしないこと

goo辞書

衝撃的ですね。まともに生きる、というのは策略や駆け引きをしないで生きることのようでもあるようです。

では、ビジネス「戦略」を立てて仕事をする人々は「まともに生きていない」ことになります。

囲碁や将棋で戦略に戦略を掛け合わせて、先の先を考えて動く彼らはどうなってしまうのでしょうか?

「まとも」とは危険な言葉です。

言い方によって、いくらにでも意味が取れてしまうので悩ましい言葉だと思います。

 

これからの正義の話をしよう←正しいは時代と共に変わります

 

一昔前に人気を博した著書「これからの「正義」の話をしよう」 からもわかるように、「正しい・正しくない」は時代と共に変わるものです。

歴史を眺めてみると「勝者」が正義になる流れがマジョリティであるように、正義というのは実に曖昧な定義です。

 

「まとも」も似た側面を持っています。

 

「ちゃんとしている・ちゃんとしていない」も価値観による判断のため、時代折々で変わることであり、正解はありません。

そのため、”まとも”に”まともに生きる”ことを考えると疲弊してしまいます。

真面目に”まとも”について考え、悩んでしまっている場合には、そもそも定められた意味もなく、言った側も自分の価値観を押し付けているだけなので、深く気にせず、気をラクにしましょう。

 

人は非常に勝手なものです。

 

また、「周り」の人の感情とは非常に勝手なものです。

・仕事をやめて、家にこもってPCをいじっている

←周り「全く、組織に混ざれず。まともに生きなさい!

・数年後、PCを通してビジネスに成功

←周り「なんて素晴らしいことをしたんだ。人間の鏡だ。

くだらない極みですが、これが真実です。

悪くいうと、まとも・まともでない、は結果論みたいなことがあり、結果的により人の役に立っていたら「まとも」の認定を受けると思いますし、それくらいに「まとも」という言葉は曖昧で意味を形にしにくい言葉なので、仮に『まともにしなさい!』と言われたり、考えたりしても、深く悩みすぎなくて大丈夫だと思います。

 

まともに生きたいなら自分の心に従おう

 まともに生きたいなら自分の心に従おう

それでも仮に「まともに生きたい」ことを願うのであれば次の3つの方法が良いと思います。

 

✔️まともに生きる方法

①自分の心に従って生きる

②自分の尊敬する師の生き様を真似ぶ

③信じた道を走りきる

①自分の心に従って生きる

 

まともに生きたいのであれば、自分の心に従いましょう。

・親

・上司

・友人

・パートナー

皆、人それぞれの価値観があり、人それぞれによって「まとも」の概念は異なります。

それぞれの人から、異なる価値観で「まとも」に生きることを望まれることがあり、混乱することもあると思います。

そのため、人に合わせて「まとも」を振る舞うよりは、自分としての「まとも」を軸に生きた方がラクにブレずに生きることができます。

 

②自分の尊敬する師の生き様を真似ぶ

 

とはいえ、自分の考え、心に自信を持てない人もいると思います。

そんな人は、自分の尊敬する師の生き様を、あなたの「まともに生きる」ロールモデルとして真似びましょう。

 

師の生き様を真似、同じように振舞っていれば、自然と自分の求める「まとも」な生き方に近づいていくことができます。

師の選び方も人それぞれですが、世の中的に「評価の高い・役に立ってる人」の生き方を模範する方が、将来的にあなたの生き様も「評価高く・役にたつ」生き方に近づきます。もちろん、高評価・貢献度などを気にしないで生きるのもありだとは思いますので、必ずしも評価・貢献を考える必要もありません。

まとも、という言葉に惑わされて人生の軸を歪められるより、自分の軸を据えて生きていきましょう。

 

③信じた道を走りきる

 

まともに生きたいなら、信じた道を走りきることも大切です。

おそらく、自分の道を信じて進み始めると、周りの人の声に反して自分の道を進まないといけないシチュエーションに直面すると思います。

そんな時には、必ずといって良いほど「あいつは勝手なやつだ」「まともじゃない」と、ある人からは避難や中傷を受けることもあるかもしれません。

それでも、自分の道の延長にいる人たちはあなたを受け入れてくれると思います。

 

一方、走り始めはまだ入り口にたったにすぎません。

その生き方を遂行し、ある程度自分の言動の意味がみえるまで走り切らないと自分でも自分自身に自信が持てませんし、周りの声を払拭することができません。

 

まともに生きるのは、結果論な側面を持ち合わせているので、まともに生きたいと思ったら信じた道で、ポジティブな成果が出るまで走りきましょう。

 

まとめ:言葉に惑わされず、今の自分を信じよう

まともに生きる、言葉に惑わされず、今の自分を信じよう

本記事は『まともに生きるとは?”まとも”について”まとも”に考えると疲弊する話』を紹介しました。

万人に受け入れられる「まともに生きる」なんてことはできないと思いますし、価値観には賛否両論あって至極当然なものです。

結論:自分の軸をぶらすくらいなら、自分を信じ、進んでいくことが大切です。

 

でも、「まともについて深く考えなくても良い」と言われても、なかなか考え方は変えられないものです。

そんな時は本などから新しい視点をもらうことをおすすめします。【大丈夫】人生がうまくいかないツライ時にこそ読むべきおすすめ本ランキングの中で生き方に関する大切な教えを知ることができます。

【大丈夫】人生がうまくいかないツライ時にこそ読むべきおすすめ本ランキング

 

読んで下さりありがとうございました。

では、実り多きライフを ٩(`・ω・´)و

 

✔️参考図書①『これからの「正義」の話をしよう』